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歴史紀行 第14回   ~安国寺恵瓊伝説 その② 本能寺の変  

昨年の大河ドラマは史上初の明智光秀を主人公とした『麒麟がくる』でした。
「光秀ブーム」だった昨年ですが、天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変。
織田信長を討った張本人は明智光秀なのですが、裏で手を引いた「黒幕説」の幾つか
の中にあるのが最近話題の「秀吉・毛利黒幕説」。備中(岡山)高松城攻めから近畿
へ取って返して京都の山崎の戦いで光秀軍を破った秀吉の「中国大返し」が余りにも
早いのではないか?信長亡き後一番の利益を得た人物が怪しいとすると無い話ではあ
りません。のちに天下を取った「秀吉政権」の中で毛利輝元は五大老の要職を担って
いますし…。主君の仇を討ったのは後世作られた美談で実はしたたかな秀吉は信長亡き
後を展望し、当時の光秀の危うさを知り、畿内の反信長勢力と秘かに連絡を取って光秀
が暴発したらすぐに引き返す密約が秀吉・毛利間にあったのではないかと…。和議がなり
備中で秀吉と対峙していた小早川隆景は事実秀吉軍を追撃しませんでした。隆景を中心と
した謀略戦なら、安芸武田氏の血を引く外交僧 安国寺恵瓊も深く関わっていたと推測され
ます。
 ちなみに、共立病院そばの武田山にあった銀山城最後の城主 武田光和の子、武田小三郎の
墓所(山口県玖珂)に先日行ってみたところ、その墓石に「妻女 安国寺恵瓊女」の文字が!!
な、な、なんと小三郎の奥さんは安国寺恵瓊の娘だった!?
歴史の謎はさらに深まっていきます。その話はまた後日!    (つづく)
           郷土作家 つかさまこと